HISTORY

 

母がめざした'いきいきとした暮らし'を振り返る
  
「誰かの役に立ちたい」
 晩年は、コミュニケーションディレクターというオリジナルなポジションで駆け抜けた母。家族も知らない、いくつもの側面をもった彼女が手掛けたことが、亡くなった後から後から、耳に入ってきました。
 たくさんの友人知人の悩みや困りごとに寄り添い、傾聴から、ともにアクションを起こしていたこと。
 それを繰り返すうちに、学歴は高卒、ごくふつうの主婦ながら、企業のコンサルタントやアドバイザー、社員教育講師。また、主婦も学ぼう、語ろうと、錚々たる企業のトップに直談判し、講演会、懇親会を開催し、仲間を増やしながら定例化。
 文化活動として、若手音楽家の支援組織の立ち上げ、音楽愛好家の会の発足から運営、公的機関の理事。コミュニティラジオの番組プロデュースと自ら出演。などなど、パワフルかつ軽やかに立ち回っておりました。

 母から直接は聞いていませんが、「誰かの、何かの、お役に立っていたい」という想いが常に根底にあったのでしょう。
 自分に何ができるのか?日々の暮らしのなかで感じ、考え、そのなかで、「いきいきと」「気持ちをラクに」と、コミュニケーションなどのヒントをお伝えしたのが、コンサルや講演やラジオだったかと。40代から30年近く、細く長く続けていました。

 もうひとつ。友人たちに「からだも心地よく。すこやかでいてほしい」と、健康について思いを巡らせ、自分にできることはないかと考えていたようです。

 

友の健やかなくらしを願う

 亡くなったあと、筆まめだった彼女の手紙がでてきて、それによると、熊本の南小国町に水源をもつ方とご縁あって、平成17(2005)年に、ミネラルウォーターのプロデュースを始めています。

 2000年代初頭は、飲み水を買うのは、日本では一般的ではありませんでした。1995年の阪神淡路大震災以降、水道が使えない時のために、水を保存しておくとよいと意識されるようになり、ミネラルウォーターといえば、一部の食通やオシャレな人が、ペリエなど海外の炭酸水を、お酒のように食事中に飲む、というくらいだったでしょう。

 まだ、サプリメントもあまり売られていない、その時代に、「水は味わいだけでなく、成分も違う」、「からだによいミネラルが含まれているものがある」と、生活にお水を摂りこむことですこやかに、と、商品化していきました。

 当時は、国内の水には、ほとんど含まれていないサルフェートに注目。
「デトックス」という言葉が広く知られるより早く、中医学や薬膳の研究家や、看護師長・助産師で東洋医学を研鑽している方に学びながら、「水分をしっかり摂ることで、からだの老廃物を排出すること」が大切だ。
 しかも、「時間やお金をたくさんかけずに、無理なく続けることができる」
 
 これは、お役に立てる!と、確信を得たようです。

 

母の想いを紡ぐ 
 それから、十数年。
 商品化といっても、母の友人知人、ご紹介の方にだけお届け。その間、この水が欠かせない、飲むのを止めたら何となく不調、というお声を寄せていただいていたようです。

 そんな折、母が急に亡くなりました。
 
 音楽の組織などは運営仲間に対応をお願いし、講師活動、ラジオは、修了。
 困ったのは、お水の販売です。母が一人でお客さま対応をしていて、ご連絡先をはじめ、わからないことだらけ。事務のサポートメンバー、工場、配送スタッフと連携し、半月ほどで体制を整えて以降、定期ご購入の方へ継続してお届けして参りました。
 ご紹介をいただくこともありましたが、引越などお客さまのご都合で、出荷は漸減。家族や親戚からは、もう止めたら?と何度か話が出ました。

 しかし、私は妊娠~出産を経て、からだによいものをと、常用が当たり前になっており、もっと知ってほしいと思っていたほどでした。自身や友だちが更年期に差し掛かり、体調に波があると感じはじめたことも後押しとなりました。
 また、理由はわかりませんが、阿蘇の噴火活動や地震の影響か、ミネラル成分が変わってきており、サルフェートのほかにケイ素(シリカ)も多く含まれているとわかりました。

 コロナ禍となり、健康不安がさらに募るなか、この度お水について見直し、多くの学びを得ました。
 その気づきを、ホームページでお伝えして参ります。

 

地域のため、これからのために
 友人はもちろん大切。でも、身近な人のためだけに行動するのは、母の本意ではないと思っています。世界の大きな動き、環境対策もできることから少しずつ。まずは、パッケージを変え、ラベルレスボトル。プラスチックを減らす製品の開発や、配送ロスの低減にも取り組んでいます。また、地域に関わること。水源地・小国郷の方と連携を深め、環境資源保全など学んで参ります。
 小さなアクションも、しないよりは、することで、変わっていくと信じて。
 少しずつでも、続けていけることがある、と忘れず。

この一文に目を通してくださったあなた様の、豊かで穏やかな暮らしの一助になれますようお誓いします。 
店主敬白